自己紹介記事作成中

イカを釣る船は、灯りを点します。

 

実家の二階にある私の自室からは

季節になると、

イカ釣り船の漁火がよく見えました。

 

※イメージ

 

船の灯りは、

「集魚灯(しゅうぎょとう)」

と呼ぶのだそうです。

 

灯りを点すことによって

プランクトンが集まり、

プランクトンを食べる小魚が集まり、

小魚を食べるイカが集まる。

 

…と、私は思い込んでいたんですよね。

釣り人でも、誤解しているかたが多いとか。

 

実は、イカは光が嫌いなのだそうです。

 

昼間は陽の光が届きにくい場所で過ごし、

夜になると、海面付近にやってくる。

 

集魚灯を点すと、

海面付近にいるイカたちは

強い光を避けたい一心で、

暗い船底に逃げ込もうとします。

 

明日を生きる糧として

小魚を食べに来ているのでも、

光に惹かれて集まっているのでもなく。

 

突然、その身に降りかかった

眩しい光から逃れようとした結果、

船から垂れる針によって

釣り上げられてしまうのだそうです。

 

すみれ
すみれ

こんにちは!

すみれ(@sumire_oo00)と申します。

 

釣り上げられたイカです。

※嘘です。

 

私は、東北の海が見える街で育ちました。

実家は高台にあり、

キッチンの窓からは太平洋が見えます。

昼は大きな船がゆったりと行き交い、

夜の波音には

不安を掻き立てられたものです。

 

関東で暮らしはじめて、早5,000年。

(※注:私は永遠の20歳です)

 

雪かきを強いられない冬が嬉しい反面、

波音が、潮の香りが、

無性に恋しくなる瞬間があります。

 

ビジネスでは、

「自己追求」を理念として掲げ、

修行系情報発信ビジネスという在りかたを

体現するために奮闘しています。

 

私は、私自身の人生や、

生きかた・在りかたに、

腹の底から納得したい。

私自身を許して、楽になりたい。

そのために、日々、

自分自身と戦っています。

 

2022年4月は

「20日間の鬼作業企画」と銘打ち、

  • ブログ記事187本
  • YouTube189本

を作成・投稿するなど、

修行を積みながら自己研鑽に励む毎日です。

 

ビジネス歴は2017年~となりますが、

行動できないノウハウコレクターとして

過ごした時間が圧倒的に長く、

現在の「すみれ」名義での活動は

2021年の11月半ばからスタートしました。

 

スタート時から

現在の修行スタイルではなく、

迷走と紆余曲折を経て、いまに至ります。

 

この記事では、自己紹介も兼ねて、

私が現在のビジネススタイルに

辿り着くまでの経緯をまとめました。

 

よかったら、

潮が香る港町の外れにあるスナックにて、

一杯飲んで帰るような心持ちで

お付き合いいただけましたら幸いです。

人間に向いていない

「どう生きればいいのかわからない」

いつから悩みはじめたのか、

もう覚えていません。

 

高校卒業までを、実家で過ごしました。

 

夏は母が縫った浴衣を着せてもらい、

冬は単身赴任から帰ってきた父と並び、

雪を踏みしめて近所の神社まで歩いてゆく。

 

父の部屋からいかがわしい本を盗み出しては

勘の良い母に叱られつつも、

平和で平凡な暮らしだったと思います。

 

虚弱だったので学校は休みがちでしたが、

勉強はよくできました。

 

物心ついたときから内向的で、

現在に至るまで、

「友達」と呼べる存在が

いたことはありません。

 

友達がいなくて困ったこともなく、

学校では本を読み、放課後は習い事へ。

 

母が教育熱心だったので、

あらゆる習い事に通わせてもらいましたが、

田舎の限られた塾や教室では飽き足らず、

お小遣いやお年玉を使って

通信教育を受講したことも度々あります。

 

思い返せばこのころから、

修行もとい自己研鑽に惹かれる性質でした。

 

本ばかり読んで、

見たこともない世界に

思いを馳せていたせいか、

あるいは虚弱だったせいか、

幼心に抱き続けたのは、

生きていく心細さ。

 

「私にはこれがある」と、

胸を張って言えるものが欲しい。

人生の支柱となるものが欲しい。

 

己をもっと高めれば、

自分に自信を持って、

安心して、堂々と、

生きていけるのではないか。

勉強や習い事に向き合うたびに、

淡い期待を抱きました。

 

ところが、なにをやっても中途半端。

 

そろばん塾の教室代表として

地区大会には出るものの、

全国大会までは進めない。

 

書道で5段には昇級したものの、

最高位である8段までは進めない。

 

読書感想文で県の優秀賞を獲ったものの、

「最優秀賞」ではなかった。

 

生来の器用貧乏と好奇心旺盛が

悪い方向に作用している

としか言えませんが、

やることはやる。

ある程度までは、それなりにやる。

 

でも、なにをやっても、

突き詰めるほどの

熱意も根性も気力もない。

心血を注ぎたいと思っているのに、

注ぎきれない。

 

それでも、母は私を褒めます。

 

祖父母も褒めてくれました。

決まって毎週日曜の夜に

単身赴任先から電話を入れてくれる父も、

私をよく褒めました。

 

「褒められたら、

『ありがとうございます』と返しなさい」

母の言いつけを守っていた私は、

嘘吐きです。

 

私は、大切な人たちが向けてくれた

暖かい言葉も態度も、疑い続けてきました。

 

本当に思っているのだろうか。

本心から言っているのだろうか。

 

「これでは足りない」

「お前にはがっかりした」

良いから、構わないから、

本心本音から出る言葉を聞かせて欲しい。

 

愛しているからこそ、

もっと愛されたいからこそ、

本当の心を、想いを、

隠さずに教えて欲しい。

 

ただ、理解してもいました。

 

誰も、心を隠してなどいない。

幼い私が得てきた結果は、

傍から見れば十分でもあるのでしょう。

 

そこまで理解していても尚、

得た結果にも、褒められることにも、

私は納得することができませんでした。

 

厄介な性質に生まれついたものです。

 

他者評価を素直に

受け入れられないばかりか、

大切な人たちの言葉を疑いながら

パフォーマンスでしかない

「ありがとうございます」

という言葉を重ねるたびに、

この世で唯一、確かなものであるはずの

自己評価まで落ちていく。

 

自己研鑽によって、

心の拠り所を得たいと願っているのに、

中途半端な結果しか得られないことと、

他者評価と自己評価が一致しないことで、

生きていく心細さは増す一方。

 

なぜ、自分に向けられた言葉を

素直に受け入れられないのか。

なぜ、結果に納得できないのか。

なぜ、これほどまでに、

自分に自信が持てないのか。

 

人間に生まれながら、

人間に向いていない。

この先何十年と、

生きていける気がしない。

 

でも、人間として

この世に生まれ落ちてしまった以上、

生きていかなければいけない。

 

恵まれているのに、

苦悩に満ちた10代でした。

自己評価と他者評価が一致した日

人生を振り返ると、

「学校」の記憶がほとんどありません。

私にとって、学校も、クラスメイトも、

さして重要ではなかったのだと思います。

 

18歳で、進学と同時に

他県で一人暮らしをはじめ、

バイトに明け暮れる生活がスタート。

 

はじめてのバイト先は、

歓楽街にある雑居ビルに事務所を構える、

コンパニオンの派遣会社。

(※注:「普通の」コンパニオン)

 

学校が終わると事務所へ向かい、

古臭いスーツに着替え、

「先生」と呼ばれる初老の女性に

髪をセットしてもらいます。

 

その日派遣されるメンバー

全員の支度が整ったら、

ワゴンに乗り込み、会場へ。

 

お化粧は自由ですが、

濃い赤の口紅を塗るのが決まりでした。

 

みんな、筆に取った紅で唇を赤く染め、

事務所の灰皿には、吸い口が赤くなった

細いメンソールの煙草が押しつけられます。

 

馴染めはしませんでしたが、

居心地は良かったです。

 

私はいつも早々に身支度を終え、

女の子たちの輪に入らず、

事務所の片隅にいました。

 

帰宅は連日、深夜2時3時。

のろのろと小綺麗な学生マンションへ戻り、

実家から持ってきた古いテレビを点けると

流れてくるのは通販番組。

 

隣のコンビニで買ったビールを舐めながら、

まったく興味のないダイエット器具や

キッチン用品を眺めているとき、

世界が停滞しているように思えて

少しだけ気が楽になったものです。

 

私は、バイトをはじめて半年ほどで

その日派遣される

コンパニオンのリーダーである

「チーフ」の肩書をもらい、昇給。

 

社長から、

「頼りにしているよ」

と声をかけられたとき、

心に黒い雲がかかるのを感じました。

 

確かにシフトにもよく入っていたし、

仕事もそれなりにやってきたとは思う。

 

でも、チーフというポジションを

与えられるほどやれていたとは、

私には到底思えない。

 

社長には、すごくお世話になっていました。

変な意味ではなく、ね。

18~19歳の生きかたに悩む私にとっては、

話しやすく、信頼できる大人だったんです。

 

「ありがとうございます、頑張ります」

事務所の小さな社長室でそう答えたとき、

かつて両親や祖父母に褒められたときと

同じことをくり返している自分に気付き、

心底嫌になりました。

 

評価され、信頼され、

与えられたポジションと昇給だと、

わかっています。

 

でも、素直に喜ぶことができない。

社長がかけてくれた言葉を疑いながら、

パフォーマンスでしかない

「ありがとうございます」

を告げてしまった。

 

本当に、生きていくのは疲れる。

 

この世も、この世に生きる人々も、

なにも悪くない。

 

ただただ、「私」という

人間として生きることに

果てしない疲れを覚えました。

 

それから一年半ほど淡々とバイトを続け、

最後は逃亡。

 

私は、評価されて良い人間ではない。

信頼されて良い人間ではない。

 

だから、最後は、

世話を焼いてくれた社長も、

ヘアセットしながら

鏡越しに笑い合った先生も、

がっかりさせてしまいたかった。

 

根が生真面目なので、

仕事に穴を開けないように、

決まっていたシフトはこなしましたが、

最後のお給料さえ取りに行きませんでした。

 

傍迷惑な話ですが、

あの日の安心感を、きっと一生忘れません。

 

逃げるようにバイトを辞めたあの日、

私ははじめて、

自己評価と他者評価を

一致させることができました。

船底に逃げ込むイカたちに紛れて

就活は、途中で放棄。

 

悪くない企業に

内定をもらえそうだったので、

面接に行きませんでした。

 

電話で告げたら、母は仰天。

 

身勝手で申し訳ないと思いましたが、

自己評価が低い私は、

真っ当に生きる道へと架けられた橋を

叩き割らねばいけないと思いました。

 

明らかに落胆した母の声は、

紛れもない本心から

発せられたものだと感じ、

安心したのも事実です。

 

父には、

「お前の好きなようにすればいい」

と言われ、複雑な想い。

感情のまま、怒鳴り散らして

くれたほうがマシでした。

 

人間に向いていない私は、

ただひたすら、

私にふさわしい生きかたを探していました。

 

就職先未定のまま上京し、

不動産屋を言いくるめて借りた部屋は、

下町にある古いマンションのワンルーム(5畳)。

 

思いがけず、

夏はベランダから隅田川の花火が見え

風流なロケーションである一方、

通りの向こうは日本一の風俗街です。

 

少し歩けば

日雇い労働者たちが寝泊まりする

簡易宿泊所が並びます。

 

流れるべくして、

この地に流れ着いたのかと思うほどには、

居心地の良い街でした。

 

あのころ私が関わった中で、

いまも心身共に健康なまま、

太陽の下を歩いて生きている人は、

きっと、限りなく少ないと思います。

 

上京して数年目に勤めていた職場に、

ひょんなことから

親しくなった女性がいました。

 

きれいで、見るからに繊細で、

独特の雰囲気を纏った人です。

 

彼女も、私も、

仕事の成果は淡々と出し続けていたものの、

人付き合いは一切しなかったので、

職場では浮いている者同士。

 

ある日突然、すれ違いざまに、

「靴がかわいい、どこで買っているの?」

と私を呼び止めた彼女の声を

いまでも覚えています。

 

旅行好きの彼女は、

よく旅先のお土産を渡してくれ、

旅行嫌いな私は、

近所の洋菓子店やら、デパ地下で買った、

お返しの品を渡す。

 

決して心は許し合わないものの、

穏やかなひと時でした。

 

しばらく経ったある日、

なんの前触れもなく、彼女が失踪。

 

二週間ほどで見つかったものの、

誰もが「どうして」と言ったきり、

押し黙るしかないような場所で

彼女は生きていました。

 

私は、わかる気がする。

彼女はもっと深い暗闇に

自分を堕とさなければ、

明日を生きていけなかったのだと思う。

 

私も、きっかけさえあれば、

彼女と同じ道を行く選択をしたと思う。

 

数ヶ月後、

彼女はいよいよ行方がわからなくなり、

もう誰も、追いかけることもできず。

 

当時の私が生きていた世界には、

あらゆる欲や、苦悩や、叫びが充満し、

恵まれているのに

身を堕とさずにいられない者が大勢いました。

 

みんな、光から逃れるために

船底に逃げ込むイカのごとく、

時代遅れの、うらぶれた場所で、

身を隠すように生きていました。

 

ベッドも置かず、

布団を敷いただけの5畳の部屋に住み、

職を転々としつつ、

日銭を稼いで生きていたあのころを、

いまとなっては懐かしく思います。

歌舞伎町のバーにて

都内で一度だけ引っ越し、

杉並のアパートに

住んでいたときのことです。

 

仕事の付き合いで飲んだあと、

ひとりで歌舞伎町に降り立ち、

声をかけてきたキャッチに誘われ、

一軒のバーに入りました。

 

店内は狭く、薄暗く、空いていて、

私より10歳ほど年上に見える

地味な女性がひとり、

カウンター席で飲んでいるだけ。

 

私は、彼女を見た瞬間に感じるものがあり、

彼女から一席空けた

カウンター席に座って飲みはじめ、

どちらからともなく言葉を交わし、

泥酔の果てに朝帰り。

 

目が覚めて、

二日酔いに苦しみながら気付いたのは、

バッグに差し込まれた一枚のメモ。

 

メールアドレスに添えられた、

「また話そうね」

の文字を見た瞬間、

ああ、このままでは駄目だ…!

と強烈に思いました。

 

「わかり合えるもの同士」が、

答えを持ち合わせないまま寄り添い、

気を紛らわしたところで、

お互いにとっての救いにはなりません。

 

かつて靴の話で笑い合った彼女も、

身を堕とした果てに消えてゆきました。

彼女が失踪後に発見された状況から察するに、

きっともう、この世にはいないと思う。

 

私たちが夜の海面を漂うイカだとしたら、

集魚灯が点す光は、

私たちが生まれて落ちてしまった

この世界そのものが持つ眩しさです。

 

「生まれたから、生きていく」

たったそれだけのことが、

なぜ、これほどまでに苦しいのか。

なぜ、人と同じようにできないのか。

なぜ、うまく生きられないのか。

 

私は、どこまで行っても中途半端でした。

 

身を置いた場所の空気に、

芯までは染まり切らないように心がけ、

定期的に資格の勉強をしたり、

何度かは真っ当な会社に勤めたり、

「戻るための道」を

確保しようとしていました。

 

いっそのこと全力で船底に逃げ込み、

釣り上げられてしまえば良いのに、

それすらできず、悶えながら

救いを求めて彷徨い続けていました。

 

本当は、誰かに助けて欲しい。

頼りたい、甘えたい、許されたい。

ひとりではないと思いたい。

ひと時でも良いから、安心したい。

 

だからこそ、

カウンター席にいた彼女との夜が、

救いになったのも事実です。

 

でも、外の世界に、本当の救いはない。

 

内面的な葛藤にも、生きかたにも、

自分で答えを導き出すしかない。

とっくの昔にわかっていたことです。

 

恋愛のトラブルも続き、

都会の喧騒にもくたびれていた

タイミングだったせいか、

あの夜出会った女性と、

彼女からのメモが、

私の転機になりました。

ビジネス歴

できるだけ外界との関りを絶ち、

在宅で仕事を完結させ、

ひっそりと余生を送りたいと願ったのが、

ネットビジネスに興味を持ったきっかけです。

 

歌舞伎町の夜から二ヶ月ほどで、

都内から、現在も暮らす

隣県に引っ越しました。

 

二年ほどは外で真っ当に働きましたが、

年齢を重ねると共に、

先々のことを考えるように。

 

いまさら遅いかもしれませんが、

親不孝を重ねてきたので、

両親には少しでも楽をさせたい。

 

そのためには、

勤めに出て稼げる金額では足りない。

 

私自身も、自分を取り巻くすべてから

逃げずに生きていくと決めて

都会を離れたので、

人生や、生きかた・在りかたに、

納得できる境地を目指して進みたい。

 

昔から文章を書くのは好きで、

書いて生きていくことへの憧れもあり、

2017年の春、辿り着いたのが

教材アフィリエイターという仕事です。

 

ところが、まったく稼げず。

見事なまでの玉砕。

 

坂道を転がるように

ノウハウコレクター道を邁進。

 

いまでこそ「価値提供」などと

口にしていますが、

当時は価値提供の意識なんて

1ミリたりとも持ち合わせていなかったので、

振り返れば当然の結果です。

 

  • 物販アフィリエイト
  • アドセンスブログ
  • ポータルサイト運営
  • 外注ライター
  • LP制作

などなど、得意の中途半端で齧って回ったあと、

2018年末からヤケクソではじめたブログが

ファンビジネスへと発展し、

YouTuberとしての活動歴があります。

 

人前に出るのは抵抗がありましたが、

外に働きに出て、直接人と関わるのは、

もっと抵抗がありました。

 

月額制の会員サイトを運営したり、

オリジナルグッズを販売したり、

ライブ配信収益を得たり、

メディアのライターとして活動したり、

調子に乗って、

一時は法人成りもしています。

 

このころは、よく働きました。

自力ですべてをまかなっていたので、

24時間、フル稼働。

 

でも、当時はビジネスの知識も浅く、

問題も相次いで起こり、

私ひとりではとても手に負えず。

 

法人は恐ろしいスピードで畳み、

ファンビジネスも徐々に収束へ。

 

2017年にネットビジネスを知り、

ファンビジネスに区切りが着くまで、

ほんの3年ほどの期間ですが、

私は明らかに変化しました。

 

目に映る世界が

穏やかになったと感じるのは、

私自身が穏やかになったからだと思います。

 

一時期のめり込んでいた

瞑想の影響もありますが、

皮肉にも、実は、

ビジネスジャンルで思うように稼げず、

ノウハウコレクターとして

過ごした時間の影響が大きいです。

 

短期間、ファンビジネスで

成果を出してはいますが、

ビジネスジャンルでは芽が出ず、

完膚なきまでに叩きのめされたことで、

苦悩と共に、納得もしていました。

 

ネットで事業を起こすのは、

学校の勉強とも、習い事とも、

雇われて働く仕事とも違います。

 

明確な数字を

結果と評価として突き付けられ、

「そんなはずはない」

と、自分の未熟さを

認められなかった時期もあります。

 

ネットでの仕事には向いていないと思い、

諦めたつもりで、

嫌で嫌で仕方がなかった

外でのバイトに励んだ時期もありました。

 

ただ、散々お金をかけて

学んできたことによる執心と、

「今度こそ、中途半端で終わらせたくない」

という想いから、

ここで諦めてしまえば、

死ぬまで後悔が残ると思っていました。

 

バイト生活を経た2021年の11月、

最初に志した教材アフィリエイターとして

舞い戻ってきたのが、

「すみれ」としてのはじまりです。

 

ネットビジネスは、

すべて自己責任だからこその

辛さもありますが、

すべて自己責任だからこそ、

守り抜き、貫けるものがあると信じています。

 

「修行系情報発信ビジネス」

というスタイルに辿り着くまで、

ビジネスの前にひとりの人間として、

自分なりの正しさや、柔らかさや、強さに、

こだわり抜きたいからこその

苦悩と困難がありました。

 

ビジネスジャンルという激戦区で、

いったいなにが

私の在りかたとして正解なのか

半年近くわからないまま、

PCの前で頭を抱えるだけの日々。

 

そんな折、いい加減悩むのも嫌になって、

自分自身の限界を越えるためにはじめた

2022年4月の鬼作業企画を通じ、

思いがけず、

私にとっての解である

「自己追求」という

在りかたに辿り着きました。

「自己追求」という解

幼いころ私が惹かれたのは、

武装のための自己研鑽でした。

 

もっと自分を高めれば、

もっと強くなれば、

心細さから解放され、

自信を持って生きていけるはずだと

思っていました。

 

いま、私が辿り着いたのは、

ありのままの自分として生きていくための

自己研鑽です。

 

自己評価が低い私は、

お金を稼ぐことができても、

納得できませんでした。

 

ファンビジネス時代は

大きな収入を手にしましたが、

「私はお金をいただくに値しない人間だ」

という想いが、常にありました。

 

すみれ名義で動きはじめてからも、

一ヶ月半ほどで

まとまった成果が出ていますが、

お金をいただく申し訳なさが拭えず、

随分と悩みました。

 

だからこそ、

未熟な自分を曝け出し、

修行を積む過程から発信するスタイルに

大きな意味があります。

 

嘘も偽りもない、

「ありのままの自分」としての

姿や言葉を世に届けられる安心感と、

ビジネスの在りかたを、

これから知っていただきたい。

 

特に他者評価が重視されるビジネスでは、

自分自身の納得を目指す在りかたは、

  • プライドが高い
  • 素直じゃない

などと言われ、

一蹴されてしまうことも多いです。

 

でも、違う!と叫び声を上げたい。

 

素直に生きているからこそ、

自分の生きかたに・在りかたに、

腹の底から納得したいだけです。

 

自己評価が低い者ほど、

自己評価を上げることでしか、

自分自身に、人生に、ビジネスに、

納得できないだけです。

 

中途半端だった自分を脱ぎ捨てて、

やり切った!という

達成感に包まれて眠ることができたら、

少しずつ、自分を許せる時間が

増えていくはずです。

 

世界の誰とも戦わず、

常に自分自身を見つめ、

向き合い、越えてゆく。

 

「自己追求」という在りかただけが、

私たちが光から逃れずに、

堂々と生きていくための、

唯一の解だと確信を持っています。

 

私が会得したことは共有しますし、

私が知らないことは、教えてください。

 

同じように悩んでいる人たちと

知識や経験を共有していけたら、

私もようやく、

人間に生まれついて良かったと、

心から思える気がしています。

最後に

話が長くなりました。

 

港町の外れにあるスナックも、

そろそろ閉店です。

 

余談ですが、この自己紹介の初稿も、

修行の一環として

追われながら書きました。

 

この自己紹介は、

真面目モードで書きましたが、

ふざけなければ死ぬ病にかかっているので、

日頃は大抵ふざけています。

 

すみれ
すみれ

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

  • 中途半端な自分を、人生を変えたい
  • 生きかた・在りかたに悩んでいる
  • 自己研鑽を積み、自分に自信を持ちたい
  • 自分らしいビジネスを人生の柱にしたい

 

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